そういえば今日、小川の隣駅で降りてMUAに向かったのだけれど、途中にバッハというマンションがあって笑った。どれだけ通じるものか

どうぞ札幌でやってくださいな、という感じだけど、そもそも夏を要件にしたICOの姿勢が根底にある

源氏物語の定家本若紫が発見されたというニュースは、このところの仕事ととても近い話題なので、急遽順序を入れ替えてLC蔵版源氏翻字データをRDF化。1行1アイテムの形は見せ方が難しいが、大きなものを分割するよりは小さなものを連結するほうが楽なので、データ利用のためには合理的なのかもしれない

予想より遥かに手間取ったが、ようやく完成。これでFishPixに記述されている科名だけでなく、目や綱でも検索したり集約したりできる。subとかinfraとかいろいろあるが、どの科も必ず目と綱は経由することも確認できた。分類の奥深さを垣間見た週末であった

やはりWikidtaのままではsuper/sub/infraが混乱したりしてよろしくないので、情報が確かそうなページを行き来しながら手作業で修正。最低限のところまではできたか

これは切りがないな…とはいえ、あと少しのところまで来た

魚類の分類ツリーはWikidataのP171(parent taxon)をたどればスムーズに生成できるかと思いきや、親が複数定義されていたり、研究の進展で違うツリーになっていたりで、結構苦労した。すごく深い階層もあればあっという間に属まで達してしまうものもあり、味わい深い

昼過ぎても状況が改善しないので、ディスククリーンアップツールで無理やりUpdate関係ファイルを削除して再起動したら、収まった模様

昨日からWindows Updateが延々とCPUを30%以上も消費していて、嫌な感じだ :(

編著者が「宋釋法雲撰」とあるとき、末尾の撰は責任表示、先頭の宋は国(時代)として取り除くにして、釋法雲が厄介。いろいろ調べると釋法雲、法雲いずれの表記も見つかり、どうも釋は尊称らしい。また法雲は梁の時代にもいてこちらはWikipediaにも載っているけれども別人。漢籍DBを見ると梁法雲と宋法雲が別の(それぞれの時代の)書物の編著になっていて、いずれも釋が入る記述もあるので、法雲(宋)で正規化が妥当な気がする

ハッカソンということで、質問受付担当として後方に陣取ったものの、ほとんどお役目なし。みなグイグイ進めていらっしゃる

今朝の朝日で、7月芥川賞候補作・古市憲寿「百の夜は跳ねて」の参考文献をめぐる賛否両論が掲載されていて、昨日の芥川作曲賞で坂東祐大による「コピペは(一概に)否定されるべきではない」という審査評を話題にするツイートと妙にシンクロした

どんな世界にも「事情通」の人々が群れるムラはあって、クラシック音楽評論業界にももちろんムラはあり、さらに現代音楽界隈はより狭いムラになるわけだが、たぶんサマーフェスティバルにはそのムラの人達が集まっており、いろいろご挨拶なり内輪話なりをしていらっしゃる。大野セレクションでお隣になって、今日も姿をお見かけした彼は、MATをこき下ろしているI氏ではないかと思われる。そういうリアルな発見がよいとは限らないとはいえ

そういえばリンドベルイの新作金管12重奏を聴いていて、チューバの音だけが異質で浮いており(属が違うから当然ではある)、Trbとセットという使い方でいいのか、今更ながらかなり疑問を感じた。この曲に限らずだけど

某集団の自主レーベルがNMLに加わりどさっと登録されたのをいくつか聴いて、何でまたこんなと思ったので、怖いもの見たさで“現代邦楽”の演奏会をYoutubeで探してみた。羽織袴の人が前に座って、何と4拍子の指揮をし、それに合わせて琴やら三味線やらが三○某氏らの曲を合奏してらっしゃる。西洋古典もどきの窮屈な拍に生気を奪われた音を、一斉に弾いてて、それでいいの? 俗楽はもともとそうなの?

最近「研究への批判を“自身への批判”に置き換える」とかコードレビューvs人格批判などが話題になったが、まぁレビューと言いながらねちねち嫌味な書き方をされると、うんざりするのは確かである

「憲法学者が考える不自由展中止 自由を制約したのは誰か」朝日、問題点が整理されている。明日の朝刊かな。「<誰の>表現の自由が、<いつ><誰によって><何を理由として><どのように>制約されたのか」<誰の>は1.作者、2.実行委員会、3.観客、4.社会全体だが、1~3は法的に難あり、4も個人に還元できず。「(圧力から展示を守るべき立場の)芸術監督自身が実行委員会と一体となって中止の判断をしたことが、今回の問題」「専門職の自律的判断に任せれば表現の自由の侵害から芸術が守られる、という議論の前提が崩れている」慶応横大教授へのインタビュー

Artists Demand Removal of Work from Aichi Trienniale Following Censorship Controversy artnews.com/2019/08/13/aichi-t 重要な参加アーティストたちが「表現の不自由展・その後」が再開されるまで自分たちの作品公開を中止するように要請。《トリエンナーレ関係者および来観者の精神的、物理的安全は確保されなければならないが、表現の自由はどんなコンテクストにも関わらず守られる必要がある。脅迫に屈したことは表現の自由を損なうものであり、アーティスト、キュレーターほか特別展関係者との協議なしに展示を中止したことに疑義を表明する。これがリスクマネジメントであって検閲ではないという見解には全く同意できない》

少女像を「キッタネー」と評した貞本義行は、「現代アートに求められる」のは「面白さ!美しさ!驚き!心地よさ!知的刺激性」と言い放って、不快感/違和感も含めた「対話」あるいは化学反応の喚起という視点が抜け落ちている点で、残念と言われても仕方ない。逆に作品の「モデルや作者の(気の毒な)背景」に基づく貞本批判は、普通に考えて的外れではあるものの、コンテクストや動線の過剰(展示以前の環境も含め)は恣意的なストーリーにつながる危険もあるわけだな

トリエンナーレでは、来観者が作品を見ただけでは何だかさっぱり分からず、係の人に質問して「こういうの俺たちには分かんないよ」と苦笑する場面に一度ならず遭遇した。ビデオアート系は動きに合わせて鑑賞者も考える可能性があるが、インスタレーション系は、黒瀬の言う「動線」も含め、もう少し工夫がないと「対話」が難しいものが多いように感じた。宮台は「今後の地域芸術祭を成立させるには観客教育が必須」で「アートの『心を傷つける』本質を伝える」のだと言うが、レトリックとしてはともかく、それにはやはり動線が必要では

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