強い意志と実行力で、日本の電子技術、情報処理技術を推し進めてきた和田氏らしい言葉である。
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「とにかくいまの世界を見てもわかるけど、それは難しいんじゃないですか。戦争に負けて何とか日本を再建しなきゃいかんという意地のあった連中は消えてしまいました。あるいは、日本はもう一度つぶれなきゃいけないのかもしれませんね」
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――たしかにCPUもある意味でソフトウェアです。でも、いまのシリコンコンピュータの時代が終わって、次の世代のコンピュータになると、またチャンスがあるのではないでしょうか。
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「ただ、光ディスクとかフロッピーディスクとかそれらのドライブなどは世界中が日本のものですからね。そこでは日本主導ですよ。要するにシステムではなく、ハードウェアしかないんじゃないですか」
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「もうコンピュータにおいて日本は主導権を持ち得ないでしょうね。だって、CPUはペンティアムとか、パワーPC、OSはUNIXとかウィンドウズNTでしょ。もう日本は独創的なCPUを作るわけでもOSを作るわけでもなくて、光ディスクとか、ああいう周辺のもので飯を食う以外にないですよ」
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 お話の最後に、喜安善市氏にした質問と同じ質問を投げかけてみた。すなわち、「今後の日本のコンピュータについてどうお考えですか?」と。
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 潔癖にして豪快な人柄。この人がいたからこそ日本の技術が国際的な土俵に上がることができたといっても過言ではないだろう。
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「六五年です。私が入ろうといったら、通産省がそんなものに旅費は出せないって反対しましたので、自費で行くぞとおどかしたりしてね」
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――日本がISOに入ったのはいつごろですか?
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「ISOの国内の委員長や、国際会議の副議長をやっていました。情報処理関係の委員長を二〇年ぐらいやったりもしました」
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――その後もいろいろと指導的な仕事をされています。
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――電気試験所をやめられたのは何年ですか?
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「それは、キャリッジリターンとかラインフィードとかはね。だから、計算機のコードというよりもインフォメーションインターチェンジを目的としたものなんです」
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――ASCIIコードは、データ通信というか、情報交換のほうに比重を置いていますね。
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「それを知っているのは日本で私だけですよ。アメリカもやりたいというので、では仲よくやろうということになった。当時のヨーロッパはみんな反対したんですよ。六ビットですむコードを何でわざわざ七ビットのコードに変えるんだって」
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――和田さんはASCIIコード、JISコードの生みの親の一人なのですね。
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「ちょうどアメリカも、EBCDICから脱却しようと、同じような作業をやっていたんで、じゃあ仲よくいっしょにやろう、という話になって。ISO(国際標準化機構)のコード会議に行きました。制定されたコードには国によって特定の文字で割り当てることが許されている箇所があるので、アメリカに都合いいように決めたのがASCIIコード、日本に都合いいように決めたのがJISコードなんです。制定は六四年のことですよ」
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