どのような仕事の世界であれ、人間の働きは、「集中→統一・同化→三昧」の世界に入るように修錬、研鑽するのが大事である。

合気道の稽古の手は、剣を握る手を、自然に開き、指を伸ばした形で行う。相手の手を捕まえるというよりも、相手の手が自然と、自分の手の中に滑り込んでくるように錬り上げるのが大事である。

基本の足捌きを身に付けることは、全ての動きに通じる基本法則を身に付けたのと同じである。そして合気道全体を有機的に活動できるようになる。

人間の生命活動にとって、丹田(上丹田・眉間、中丹田・鳩尾・水月、下丹田・気界丹田)は、その活動の重要なセンターである。この意味において、感応性能の積極化の中で、武道でまず必要なことは、神経反射の調整法をしっかりと行うことであると言える。

合気道の技は、もともと剣術に始まり、さらに徒手で武器を持つ相手を制するところから発している。「合気は動く禅である」とも言われるように、稽古を行うのに一番大切なことは、丹田にエネルギーが満ち、心が透明であることが条件であろう。

心は音楽家であり、体は楽器である。 音楽家としての腕を磨くと同時に、体(楽器)をより精密で精巧な楽器に仕上げることが大事である。

呼吸法基本の一つに、吐く息と共にアイウエオ(ン)の六音を発生する呼吸(六音の呼吸)がある。この呼吸法は、「気を錬る」稽古に最も入りやすい基礎的呼吸法である。宇宙の力と知恵を受け入れ、低い発声による響き・振動・波動と共に、その力と知恵を全身に錬り込む気持ちで行う。

稽古の重要点は、足捌きのような具体的な基礎錬磨と共に、常に呼吸法による調気にある。足捌きを行いながら、気を下半身に錬り込む呼吸が必要となってくるのである。

合気道の稽古で最も入りにくいのは、「場を主宰する」という感覚であろう。意外と人は、他に従うことには慣れているが、場を主宰していくということは苦手のようだ。しかし、呼吸を整え、合気道の稽古を丁寧に行っていけば、対立を超えた真の積極性という意義が感じられるようになってくるものである。

全てを吞み込み、認め、避けることなく、悠々と稽古をせよと、先生は説かれている。

「行動的連想行」は仮の稽古の場を心に設定する方法である。しかしその効果は実地の稽古にはっきりと現れる。

どのような時でも技が自在に現れるようになるには、全身の神経が心の求めに自然と応じるように訓練されていなければならない。

実際に敵が目の前にいたとしても、自分の心は静かに観察するだけで、心に敵を作らない。そういう心の持ち方ができれば非常に安定することができる。

お互いが喜びを感じるような稽古でなければ進歩しない。

武士は用事のないところには出かけない。

植芝盛平先生の合気道は格闘術でもなければ護身術でもない。もちろん単なる武術でもない。日本の伝統的武術の高度な訓練法から発した「生命を磨く近代的訓練法」である。

命の力を高める事こそ、技の上達はもちろん、人間の全ての行動を高める基本であるが、その成否は、宇宙の知恵と力を受け入れる方法の習熟度にかかっている。

一日七、八時間、年間二千四、五百時間、それくらいは独り稽古をしなければならない。

合気道は、形から生まれたダイナミックな気の流れという訓練法である。

ダーラナ・ディアーナ・サマディ。集中・統一・三昧。
その「統一」というのは「同化」ということ。対象と自分に隔たりが無くなるということ。

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